危険な微生物を管理する感染研、物品管理もままならない。国立感染研で24億円分の備品が「不明」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120914/crm12091422430014-n1.htm
>いずれも処分に必要な手続きを経ないまま廃棄してしまった可能性が高いとしており、
国立感染研で24億円分の備品が「不明」
2012.9.14 22:43
国立感染症研究所(東京)は14日、昭和37年度から平成18年度にかけて取得した購入価格50万円以上の備品計1153点が所在不明になっていると発表した。購入価格は計約24億円に上る。いずれも処分に必要な手続きを経ないまま廃棄してしまった可能性が高いとしており、横流しや横領などの不正行為は確認できなかったという。
感染研によると、平成23年1月、厚生労働省の会計事務監査指導で、「重要物品」と呼ばれる購入価格50万円以上の備品の一部が、物品台帳に載っているにもかかわらず所在確認できないと指摘され調査を開始。
その結果、昭和38年2月に93万円で購入したペーハー計測器から平成19年1月に50万9040円で購入したパソコンまで計1153点(購入価格計約23億8689万円)が研究所内に存在しないことが判明した。
重要物品を廃棄処分する際は厚労省の承認が必要で、その後台帳から削除されることになっているが、こうした手続きを取らず処分したとみられる。感染研は今後、50万円以下の備品についても調査を行うとしている。渡辺治雄所長は同日会見し、「不適切な事務処理で管理に適正を欠いた事案が発生してしまった」と述べ、謝罪した。
予研=感染研のバイオハザード裁判 http://www12.plala.or.jp/toyama-honda/kagakusha/hanketu.html
・多数の人骨が発掘された731部隊「防疫研究室」跡地に建設を強行した、国立感染症研究所を提訴した裁判(上)
旧跡地での恐るべき汚染の発覚
さらに、恐るべき現実が判明したのです。
予研移転後、住宅都市整備公団がその跡地を入手し、高層住宅建設を計画していました。近隣の中込清氏(51歳)は、一級建築士で環境問題に深い見識のある市民です。98年6月、同氏は予研の跡地と廃屋に入って絶句しました。次のような汚染が判明したのです。
1.放射性物質を扱った実験器具の耐圧ビン、放射性物質輸送容器が多数、放置されていました。
2.有害化学物質で汚染されていました。
3.血液のついた注射針、ビニール管に入った血液等の感染廃棄物も遺棄されていました。
住都公団も実験室や実験動物施設での病原体等の滅菌と安全性について危惧し、感染研に照会していました。
これにたいし、感染研所長は、98年1月13日付で「回答」を送りましたが、その写しを読み、私は呆れました。
見え透いた嘘ばかりだったからです。
たとえば「病原体及び実験動物を取り扱っていた場所は、全てホルマリンガス等を用いてくん蒸・消毒を行いました」と書いてありました。
P3実験室ならば、密閉できるので、くん蒸できたでしょう。
しかし、多数の実験室や動物施設は密閉できなかったので、くん蒸消毒できたはずがありません。
むしろ、それらの床・壁・天井等が病原体で汚染されている可能性が大きいので、廃屋解体後、膨大な廃材はすべて感染廃棄物になります。
住都公団はそれらをどのような方法で処分するのでしょうか。
前代未聞の大難題です。
感染研と住都公団は、跡地周辺住民が納得するような安全性確保の説明をしなければなりません。
論より証拠、現実そのものが感染研の反公共的体質を証明したのです。
・感染研における最近の不祥事について【バイオハザード予防市民センター】
・バイオハザード予防市民センター
その他 感染研を含む記事
その他 感染研元職員の告発本より引用
読者さんツイッターよりおかりしました。
●科学者として(新井秀雄著)
感染症研究所・健康栄養研の庁舎 http://t.co/P0oKHB3l
日本最大の病原体・バイオ研究所機関=国立感染症研究所が人口密集地(東京・新宿区)に設置されている。 円は感染研を中心に400m http://t.co/orY2uYxk
〜内部職員に吸わせないために病原体や発ガン物質を含む排気を屋上から排出し
WHOの指示に違反して住民に吸わせている。〜 http://t.co/OwK86tSA
予研=感染研の反公共的・反国民的所業についての年表(科学者として新井秀雄著・巻末付録より)
〔米軍命令で設置され、細菌戦に協力した医学者が集められた予研の隠された目的:米軍の下請け研究機関だった〕
★1947/05/21 米軍命令で予研設置。
東大付属伝染病研究所の半分が厚生省に移管、予研になる。
その際731細菌戦部隊に協力した『医学者』多数が集められた。
米軍406部隊(米陸軍406医学研究所とも呼ばれ、アジアでの生物戦争部隊であり、
予研設立以降、予研を監督してきた生物・化学戦部隊)との協力関係はじまる。
米軍との人的協力は80年代まで続く。
★47/6/3 米軍、予研にABCCの協力を申し入れ。
★47~50年代頃 予研は若松有次郎・元獣医少将(長春にあった100部隊の元部隊長)
金子順一・元軍医少佐(731部隊)に予研でひそかに研究する便宜を提供。
若松、金子は細菌戦争の指導的戦犯であったが、
予研は米軍生物戦争部隊の下請け研究に奉仕する彼らの《もぐりの研究所》になっていた。
★48/3 予研、原爆影響研究所を広島・長崎支所として設置し、
ABCCと一体になって被爆者の人権を侵害した(1975年まで続く)。
米人科学史専門家によれば当時米軍側から、
予研は『熱心な占領軍機関』『植民地科学』の典型と評価された。
〔人体実験体質を継承〕
★1951.福見秀雄(細菌第2部長)、
国立第一病院等で乳児に致死性大腸菌の感染人体実験を行い、感染ありと報告
★1952.福見秀雄ら、名古屋市立乳児院での大腸菌の感染人体実験に関与
★1952-56.北岡正見(ウイルス・リケッチア部長)、
米軍援助金により新潟精神病院でのツツガムシ人体実験(8名死亡、1名自殺)に関与
★1954-66.北岡正見(ウイルス・リケッチア部長)、米軍資金を受けて研究
〔不必要になった種痘を続け種痘禍をもたらす。有害無益なインフルエンザワクチン接種制度をつくり幼児・学童の人権を侵害。欠陥ワクチンを認可〕
★1957.福見秀雄らが厚生省に幼児・学童への有害無益のインフルエンザワクチン接種の任意接種制度をつくらせる(学校で行わせたので、事実上の強制接種)
★1959-61.ポリオが大流行し、ソ連がワクチンを大量提供したが、予研が使用を妨害し、感染拡大。
母親運動が予研に抗議デモし、使用を認めさせ感染が集結。
のちに、予研はポリオ撲滅は予研の功績だと宣伝。
★1959-67.福見秀雄ら、自衛隊員への赤痢菌人体実験を指導。
★1962.福見秀雄ら、予研関係者が、厚生省に働きかけ幼児・学童への有害無益なインフルエンザワクチン接種の強力勧奨制度をつくらせる。
★1962.予研、日本脳炎ウイルス研究のため米軍より資金を受ける
★1962. 梅沢浜夫抗生物質部長、予研で発見したカナマイシンの特許料(数十億円)で
私立「微生物化学研究所」をつくり所長になる。
予研部長、東大教授を兼ねて、公私混同。
★1964. 予研の筑波研究学園都市への移転構想発表。
予研は「交通が不便になると反対」
★1965. 佐藤・ジョンソン会談で「日米医学協力委員会」(日米軍事協力の医学版)設置。
予研、日本側の中枢的役割を果たす。
★1967. 福見秀雄らがが指導して自衛隊員に赤痢菌と赤痢予防薬(未承認薬)の人体実験、隊員1089人のうち、577人に急性食中毒被害。
~編集途中・随時追加予定~
(科学者として予研年表より) 97/12新井秀雄 感染研主任研究者がインフルワクチンは無効と言明。『私は自分の子供には一度も接種させたことありません。もちろん私自身も妻も今年88歳になる義母もです。 なぜなら専門家集団の職場でそんなことを聞くだけでも恥ずかしいからです。』
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