ムンプスワクチンの開発と開発過程における問題点
小児感染免疫第21巻第3号 - 021030263.pdf
伊 藤 康 彦
私
は
,名古屋大学医学部で故永田育也先生の指導の下,
インターヘロンの産生機構とセンダイウイルス持続感染の研究を行っていた.
永田先生は,私がフランスのパスツール研究所在籍中に病気になり,1977年の2月に亡くなられた.
私はお亡くなりになる2カ月前に急遽戻り,やっとのことで先生の最期に立ち会うことができました.
そこで,私の研究環境が激変し,私自身フランスへ行った以外は,
名古屋大学医学部から離れたことがなかったのですが,縁あって,
1982年に国立予防衛生研究所(予研,現在の国立感染症研究所の前身)村山分室,麻疹ウイルス部(杉浦昭部長)に行くことになりました.
名古屋からほとんど一歩もでたことがない自分が,東京へ行くことに大変不安であったことを覚えていますが,
そこでは良い仲間に恵まれ,交友関係が随分広がり,それが今でも
自分の財産になっています.
そこで初めて,ワクチンの研究に携わることになりました.
日常業務としてはワクチンの検定作業があり,研究としてはムンプスウイルスの基礎的研究とムンプスウイ
ルスのマウス感染モデルを作製することにも力を入れました.
そして,ムンプスウイルスだけを考えるのではなく,ヒト型パラミクソウイルス全体
像を視野に入れる必要がでてきて,すべてのヒト型パラミクソウイルスの比較研究へ研究分野を広げていきました.
予研でのもう一つの大事な仕事は,麻疹,風疹およびムンプスの混合ワクチンの実用化に関する
研究でした.
弱毒生ウイルス混合ワクチン(MRM,以下,MMRと表記)研究班の最後の年にあたり,
野外接種実験の最終評価が大詰めを迎えていましたが,いろいろな難問題が山積みでした.
野外接種実験で抗体陽転率が高くならない,抗体測定法の感度が低いうえに,その判定に主観がどうして
も入り込む,プラックサイズマーカーがあてにならないなど,どれもムンプスウイルスに関係することばかりでした.
不思議な不顕性感染率の算定方法を知ったのもその頃でした.
予研にお世話になったのは4年弱の短い間ですが,その間MMR開発研究のお手伝いをし,
MMRワクチンの実用化の準備が整ったところで,
三重大学医学部へ移りました.
1989年4月からMMRワクチンの接種が始まり,喜んでいたところが,
例の無菌性髄膜炎の問題が起こり,衝撃を受けたことを覚えてい
ます.
本稿では,ムンプスワクチン開発中の経過について,率直に書かせていただきましたので,
ぜひ反面教師にしていただきたいと思います.今後ムンプスワクチンの接種率が高まり,
またMMRワクチンが復活し,ムンプスの流行がなくなることを期待しております.
は じ め に
ムンプスは,和名でおたふくかぜといわれてきたように,発熱と耳下腺腫脹を特徴とする伝染性
疾患である.ムンプスは一般には軽症と考えられがちであるが,その全身の感染によるいくつかの
合併症を考えると必ずしも軽症ではなく,やはり予防して防ぐべき病気であるということができる.

I.
ムンプスウイルスについて
ムンプスウイルスは
1934年,
JohnsonとGood-pastureによって初めて分離された.
分類学上ではパラミクソウイルス属に分類され,遺伝学的にも免疫学的にもパラインフルエンザウイルス
2型や
4
型と同じルブラウイルスに属している.ムンプ
スウイルスのゲノム構造は
1
本鎖で,直鎖状のマ
イナス鎖
RNA
であり,
15,384
塩基から構成され
ている.
ゲノム上の遺伝子の配列は,
3’
-
leader
-
NP
-
P
-
M
-
F
-
SH
-
HN
-
L
-
trailer
-
5’SH
を有していると
ころがユニークである.
II.
ムンプスの発症病理
ムンプスウイルスは患者の唾液を介した接触感
染,または飛沫感染で,ヒトからヒトへ伝搬する
と考えられている.周辺への伝染力は意外に強く,
同居家族では
97.4
%
,室内の友人でも
89.5
%と高
率に感染している
7,6
)
.経気道的に感染して鼻腔粘
膜や上気道粘膜上皮で増殖し,所属リンパ節に感
染が広がる.ついでウイルス血症が成立し,全身
の標的組織に感染する.耳下腺(唾液腺)におい
てウイルスが主として増殖すると考えやすいが,
耳下腺はムンプスウイルスの第一次的なウイルス
増殖臓器でもなく,また耳下腺でのウイルスの増
殖が不可欠のステップでもない.ウイルスが感染
して,臨床的な症状が出現するまでに
2
~
3
週間
を要する.生体内における感染様式を
図
に示す.
後述するように,その算定方式には疑問が残るが
不顕性感染も多く,
30
~
40
%
といわれている
1
~
3
)
.
特に年少者で無症状感染が多く,しかも彼らから
ウイルスが分離されることもあり,伝播源として
重要な役割をもつことが考えられている.
III.
ムンプスの合併症
(
表
1
)
耳下腺腫脹がムンプスウイルス感染症の最も顕
著な特徴であり,流行性耳下腺炎と呼ばれている
理由であるが,実際は全身感染症で,唾液腺はそ
の一つの部分現象であり,最も頻度の高い侵襲部
位と考えたほうがいい.
1
.
ムンプス性髄膜炎
中枢神経系は,耳下腺に次ぐムンプスウイルス
の標的臓器である.ムンプスウイルスをマウスや
サルの脳内に接種すると,病理学的に髄膜炎と確
認できる病変を生じさせ得る
4,5
)
.わが国で無菌性
髄膜炎と診断された症例で,ムンプスウイルスに
よるものが比較的多いといわれている(
30
数%)
3
)
.
米国での報告によれば,髄膜炎発症率は
0.3
~
0.4
%
となっていた
3
)
.近年ではもう少し高いのではな
いかといわれており,報告者による差が大きいが
2
~
37
%,
平均では
10
%前後であるとされてい
る
1,6
)
.注目すべきは髄膜炎症状のない患者の髄液
検査で,
62
%に髄液細胞増多を認めたという報告
もある
4
)
.また,髄膜炎合併率が
73
%にもなると

いうウイルス(大館株)も知られている
4
)
.
2
.
ムンプス性難聴
ムンプスウイルス感染が中枢神経に及んで,第
八脳神経の聴神経の脱随を伴う二次性迷路炎を起
こすことがある.ムンプス性難聴の発生率は必ず
しも高くはなく約
2
万人に
1
人程度と考えられて
いたが,青柳らは
1
/
294
(
0.34
%
)という高頻度
の調査結果を報告している
7
)
.好発年齢も幼稚園~
学童期に多いし,治療に極めて抵抗性であり,そ
の結果,高度の難聴を後遺症として残すことも多
いので注意が必要である.
3
.
ムンプス性精巣炎
思春期後の男性の場合,唾液腺以外で最も広く
起こる合併症である.その発生率は
20
~
30
%にの
ぼり,多くは一側性で,症状は急激で発熱と局所
の疼痛を伴う.通常は完治するが,まれには無精
子症を後遺症として残すことがある
1,3
)
.近年,中
学生にも発症が確認されている
1,3
)
.
4
.
その他の合併症
その他の合併症として膵臓炎や心筋障害が報告
されている.
以上ムンプス合併症には軽視できないものが少
なくない.しかも,
1
基本的にはヒト以外には感
染しないこと,
2
世界に広く分布しほとんどのヒ
トは一生のうちに
1
度は罹患すること,
3
ムンプ
スウイルスは抗原的にはかなり保存されていて,
一度の感染で終生の免疫が成立すること,があり,
ムンプスはワクチンによって予防が必要であり,
予防が可能でありかつ予防によって制御が可能な
疾患であるということができる.
IV.
日本におけるムンプスワクチンの開発の歴
史
3,8,9
)
1946
年に
Enders
らによりムンプスワクチンの
研究が始められた.最初は不活化ワクチンが用い
られたが,予防し得る期間が短く,効果も芳しい
ものではなかったので,弱毒生ワクチンの開発に
その研究が移った.ムンプスウイルスを孵化鶏卵
羊膜腔で継代して,弱毒生ウイルスワクチンとす
るという研究が進められ,
1966
年に
Jeryl
-
Ly
nn
株生ムンプスワクチンが作られた.このワクチン
は,抗体陽転率もよく,副反応も少ない非常に安
定したワクチンということで,現在世界的に広く
使われている.
日本のムンプスワクチンは,初めから弱毒生ワ
クチンの研究で出発した.
1960
年以後阪大微研
奥野らによって,まず孵化鶏卵漿尿膜継代で弱毒
化された
To w a t a
株
,続いて孵化鶏卵羊水腔で継
代し,弱毒化した,
Urabe
株を開発し,試作ワク
チンの作製に成功した.
1970
年厚生省科学研究費による『ムンプスワク
チンの開発に関する基礎的研究』
(研究代表者
奥
野良臣)によって公的な基礎的研究が始まり,続
いて
1972
年に,多くの基礎ウイルス学研究者と
臨床ウイルス学研究者を会員とする『ムンプスワ
クチンの開発研究会』
(研究代表者
宍戸亮)が結
成され,以後この研究会が中心となってその実用
化のための研究が推進された.この研究会では奥
野らの開発した
Urabe
株ワクチン,武田薬品生物
研で矢追らが開発したウシ腎臓細胞継代により弱
毒化された
To r
ii
株ワクチン,北里研究所
牧野ら
が開発したニワトリ胚線維芽細胞に低温で継代し
て
,弱毒化した
H
oshino
株ワクチンが検討対象に
なった.研究会では野外接種試験での免疫原性や
副反応の検討以外に,麻疹および風疹ウイルスと
の混合ワクチンの使用の可能性,ワクチンに含ま
れる最適なウイルス量の検討,ワクチンの品質管
理に必要なワクチン株の各種動物を用いた安全試
験の検討,
in vitro
や
in vivo
の
マーカー
試験の検討
なども行われた.
これらの研究会での研究成果をもとにして,
Urabe
株ワクチンや
H
oshino
株ワクチンが選ばれ,
これに対しては厚生省中央薬事審議会ではその製
造に必要なムンプスワクチンの基準を決めた.ム
ンプスという言葉がわかりにくいため,薬品名と
しては弱毒生おたふくかぜワクチンと呼称するこ
ととなった.
1978
年には厚生省の特別研究費で
「
これまですでに開発の進んでいる国産ワクチンに
ついて最終的にその力価の評価,安全性の検討を
してその実現化を図ることを目的」とした研究会
(研究代表者
宍戸亮)が組織され,その報告書は
翌年の
3
月に刊行された.その結果,
1981
年
2
月から任意接種として,一般接種が開始された.
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